千葉県市原市の北東部に位置し、旧市東村であった地域です。
都心から電車で60分。千葉市から市原市にかけての臨海部の工業地帯にも近いという立地にあり、1970年代頃から外房線誉田駅の近隣にいくつかの住宅地が開発されました。その後、誉田駅の両隣、鎌取駅や土気駅周辺に大規模なニュータウンが出来る中、一時はこの市東地域にも大規模開発計画がいくつか存在したものの、バブル崩壊などで頓挫。開発予定地は市街化調整区域となり、現在のような里山と田園風景が広がる地域が残ってきました。
市東地域の北部は、1970年代から1980年代にかけて出来た古い住宅街。村田川とその支流周辺には谷津田といわれる里山にかこまれた田園風景が広がります。お寺や神社など歴史ある建物や、旧跡、古墳、などなども多くある地域でもあります。
近年は少子高齢化が著しく、地域内にあった市東第二小学校は2017年に閉校となり、また、農業後継者不足により耕作放棄地が拡大するなどしています。
「市東地域15町会」とは、当プロジェクト発足時に市東地域にあった15の町会※のことで、市東地域15町会共創プロジェクトは地域内外の協賛会員に加え、市東地域内の町会も会員となって様々な活動を進めています。
※金剛地、奈良、古都辺、東国吉、高倉、高田、中野、瀬又、押沼、番場、永吉、誉田グリーンヒル、萩の台、瀬又台、猪の台
(押沼町会、猪の台町会は2025年、諸事情により解散となりました)
都心から電車で60分。千葉市から市原市にかけての臨海部の工業地帯にも近いという立地にあり、1970年代頃から外房線誉田駅の近隣にいくつかの住宅地が開発されました。その後、誉田駅の両隣、鎌取駅や土気駅周辺に大規模なニュータウンが出来る中、一時はこの市東地域にも大規模開発計画がいくつか存在したものの、バブル崩壊などで頓挫。開発予定地は市街化調整区域となり、現在のような里山と田園風景が広がる地域が残ってきました。
市東地域の北部は、1970年代から1980年代にかけて出来た古い住宅街。村田川とその支流周辺には谷津田といわれる里山にかこまれた田園風景が広がります。お寺や神社など歴史ある建物や、旧跡、古墳、などなども多くある地域でもあります。
近年は少子高齢化が著しく、地域内にあった市東第二小学校は2017年に閉校となり、また、農業後継者不足により耕作放棄地が拡大するなどしています。
「市東地域15町会」とは、当プロジェクト発足時に市東地域にあった15の町会※のことで、市東地域15町会共創プロジェクトは地域内外の協賛会員に加え、市東地域内の町会も会員となって様々な活動を進めています。
※金剛地、奈良、古都辺、東国吉、高倉、高田、中野、瀬又、押沼、番場、永吉、誉田グリーンヒル、萩の台、瀬又台、猪の台
(押沼町会、猪の台町会は2025年、諸事情により解散となりました)


